図案師

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2011年12月

でた…

年末にかけて体調を崩す恒例行事。
胃痛が酷い…。
今年もまた忘年会に出られないのか。

…と思いきや、復調!
グループ2社合同の大納会!

40人以上で行ったカラオケ大会は4時間超え。
大トリで「兄弟仁義(北島三郎)」を歌い、平成二十三年は幕を閉じた。






2011年11月

ここ最近、駒込駅から家に帰る途中の小料理屋「さつき」に寄ってからじゃないと帰れない。

夜遅く家に帰ると息子と女房は寝ている。メシを用意してくれている日もあるが、帰る時間が読めなかったり、徹夜で家に帰らない日もあるので、基本的には夕飯は家に用意しないでもらっている。だが、コンビニ弁当食って寝るってわけにはいかない。やっぱし、一杯やりたいのだ。

で、「さつき」はちょうど良い場所にある。駅と家のちょうど真ん真ん中あたりに位置している。帰りがけに一杯ひっかけるのにもってこいの店だ。

♪ちょいと一杯のつもりで飲んで

なんで酒飲みは、「飲まされて…」とか「断れなくて…」とか人のせいにして飲むんだろうな。自分が飲みたいんだろうに。




2011年10月

facebookを始めた。
正確にはやることにした。
去年アカウント作ったまま、ずっと放置しておいたんだけど。

徹夜仕事で暇な時にうpした写真とかね。






2011年9月

9月っていやぁ…、って去年も書いているけど神輿と親父の命日。
しかし今年は駒込に引っ越してきてから初めての神輿。
で、水面下である作戦を去年から企てていた。

『駒込上富士町会 青年會』の設立

オフクロも地元で商売を始めて二十年。そろそろ俺も地元町会に何かしら貢献しねえと。ってわけで、町会で古参の小学校時代の親友を頭にして青年會を立ち上げる事にした。
とは言え、駒込上富士町会ってのは本郷通りと不忍通りの通りっぺた一軒分しかなく、狭くて人の少ない町会である。奇跡的に同級生がいたってだけで、毎年神輿に出てくる小学校の先輩後輩をかき集め、町内には住んでいないけど以前から町会神輿を手伝ってくれている友人たちをようやく集めて、昨年宣誓させた。
で、上富士町会で初めて御神酒所の設営からバラシまでやった。今までは神輿を担ぐだけだったのを見よう見まね、とにかく町会祭禮部の人たちの後を追っかけて手伝った。

神輿を担ぐだけじゃなく、運営ってのは大変なんだと思い、青年會の拡充を固く決意したのだったのだ、が。何より痛感したのは己の体力の無さだった。そして決意したのだった。

来年までに体重増やす!

でもって、行きつけの飲み屋“さつで”で、ひとり。
親父の命日を。






2011年8月

今年も靖国に参拝。
去年に続き、猛暑。去年靖国神社で撮った写真を見返してみた。女房も子供もグッタリしてる。あん時は何の準備もなく行っちまったもんだから、あの暑さの中で女房子供は辛かっただろう。俺ひとりだったらどうでも良いんだけど、2歳の息子連れて行かなきゃならねえから心配だ。今年は、保冷バッグに保冷剤、氷、水を入れて持って行くことに。


ベビーカーなんてもんは使わない。自分で歩け。ってんで強烈な日差しの中、靖国神社の参道を歩く。食品用の保冷剤を手ぬぐいで巻いて、息子の首んとこにかけて後頭部を冷やしてやりながら。水も呑ませながら。

靖国神社に着いたのがちょうど11時30分頃。あと30分経てば、隣の武道館で行われている全国戦没者追悼式と同じくして黙祷、そして陛下のおことばを拝聴できる。木陰で少しの間涼んで待っていた。するとどこからと見ず知らずの女性が「お暑いでしょう」と言いながら息子と女房と俺の背中に冷感スプレーを吹いてくれた。とても有り難かった。

正午をむかえて黙祷。そして陛下のおことばを聞きながらぐーっと胸が締め付けられ、唇を噛む。頭を下げながら、俺も女房も息子もオフクロも、4年前に死んだ親父もみんな先代の日本人が守ってくださったから…
くそ暑い中、パッと行ってサッと参拝してくるだけ。だが、ずしりと重いものを胸に抱いて靖国神社を後にした。

それから神田明神へ。ここは江戸総鎮守でもあり俺らの婚礼の神社でもあり、まぁ帰り道だから寄ってくかって感じで。その帰りに参道のそば屋で一杯。壁に貼ってある手描きのメニューの紙に「神社ハイボール」というのを見つけたのは内緒。






2011年7月

・・・・・・なんだかんだ、疲れた。

6月からず〜〜〜〜っと引越後のトラブルの決着をつけるだけの日々。
引越した実感が全くない。なんだこれ。

あ、そうそう。今まで“定期券”っていうのを持った事がなくて。
駒込から目黒まで山手線で通勤することになり、JRの定期を買った。

中高は私立だが文京区の学校。大学もまぁそれなりに近かったけど、仕事してたからたまにしか行かずタクシーが多かった。会社も自宅から徒歩10分以内を点々とし、目黒近辺で十数年。

何が一番変わったかって、酒の呑み方。今までは早めに上がろうが夜中まで仕事しようが、目黒駅界隈の飲み屋行ったり、ウチの店に顔出したり。2〜3時くらいまでやってタクシーで帰る。しかしそうはいかなくなった。

まず終電というのを気にしながら仕事をしなければならない。で、適当な時間に上がってもまず山手線に乗らないと落ち着かない。途中、池袋で降りたり巣鴨で降りたりいろいろあるが、まず駒込まで帰ってこないと落ち着かない。
そして地元の行きつけの小料理屋に顔を出す。親父の代から世話になっている女将のいる店。駅から家までの途中にあるもんだから、女房子供が寝ている時間にはちょいと寄って一杯やる。家まで歩いて5分ちょっと。でも、ベロベロになるまで呑まない。(もともとベロベロになるような呑み方はしないが)

で、新居に引越してから新たについた習慣が「家に帰ってからまた呑み始める」ことだ。俺が帰る頃には、家の中は寝静まっている。にひひ…リビングを1人で占有できるわけだ。シャワー浴びて、着替えて…さぁもっかい呑むか!と、いわゆる2軒目の“はしご酒”を家でやるのだ。これが至福のひとときである。家族と食事をするのももちろん楽しいのだが、何も考えずボーっとできる酒の時間が心地良い。名付けて「Bar 俺ん家」。

何か呑みてぇな、何かつまみはねえのかな、ってオーダーすると「はいよ」って間髪入れずに“俺”が品を出してくる。いい酒処じゃねぇかい。




2011年6月

さぁー、いよいよ引越だぜ、しっこし!

またこれがトラブった…

【注意】
話がすげ〜長くなる上に、思いついたことを片っ端から書き連ね、
言葉も荒くなっていくはずなので心臓の弱い方は注意してください

大家さんはとても感じの良い人。俺は駒込で生まれ育ち、町会のこともここいらのことも良く知ってるってんで、話は早い。契約も済んで大家さんご家族ともご挨拶した。鉄筋3階建ての三世帯一軒家の一所帯を借りるという、長屋みたいなもんか。町会の細々したこともあるので、近所両隣、親父の代から世話になっている家(隣)、町会長・町会関係など一通りご挨拶に回った。

引越当日、長年目黒で連れ添ってきたヒゲの男に手伝ってもらい、地元のクリーニング屋の同級生にも手伝ってもらい、一段落したあと荷物端っこにして、まずお疲れさんと一杯やってたわけだ。6月半ばとはいえ、むさ苦しい男が3人もいりゃエアコンのひとつもつけるわ。酒飲んで、ああだこうだやって、んじゃ今日はお開きってんで、夜中に帰ったわけよ。初めての夜。段ボールも積み上がったまんま、寝る場所だけ確保して寝たわけだ。ああ新居の天井だぁなんて思いながら。

翌朝起きてリビングルームにいって、積み上がった段ボールをよそ目にふとテレビに目をやったら…っおぉぉぉおおいいぃぃ!!!!

だれだ!!テレビボードんとこに“ため池”なんかこしらえたやつぁ!!!!

テレビの置いてあるテレビボードの上に水溜まりができている。こいつはどういうこった!!と思ってパッと上を見たら案の定、エアコンから水が漏れてやがる!!てめぇバカ野郎!!今日日こんなエアコンの付け方あるかこの野郎!!500㎖以上の水がエアコンカバーからぼたぼた流れてきてやがる!!テレビがずぶ濡れだ!!エアコン内のドレンから逆流してやんだ。…っち、てめぇどいつだ!!ってんで不動産屋に電話しても朝から繫がらねぇ。

…ん〜落ち着け。こういう時に地元育ちってぇのはいい。これまた親父の代から世話になってる空調の専門屋のおやっさんがいた!早速電話。

「あの…朝からすみません」
おやっさん「おうどうした。新居はどんなあんばいだ?」
「あのですね…エ、エアコンから…水がドボドボと…」
おやっさん「なにぃ?今行くからちょっと待ってろ」

かー、俺もそうだが、江戸っ子ってぇのは気がはえぇなぁ。
ものの5分で飛んできてくれた。家に入るなり、エアコンを目にして一言、

おやっさん「誰だこれ付けたのは」

見ただけでわかるらしい。

おやっさん「こりゃひでえなぁ。全部家ん中に水が来ちまってんだよ。写真撮っとけ、写真」

言われた通りに写真を撮って。

おやっさん「おう、あと他の部屋もあんだろ?見してみろ」

ってんで4部屋の全エアコンを見てもらった。口から出てくる言葉は「こりゃねえわ。ひでぇなぁ」ばかり。挙げ句の果てには「これ付けたの素人だろ」とまで。わざわざ大家さんが4部屋とも新品のエアコンに替えてくれた。しかし、それを取付けた工務店と電気屋ががががが!!!!

午後に早速不動産屋に電話。すぐさま様子を見に来たおばちゃん。「今日はね工務店と連絡がつかないから明日、月曜の朝に来るようにさせるわ。これテレビだめになってるかもね。」と。まぁ、いい。どうせウチはエアコンを使わないでも平気だから。が、とにかく正確にきちんと付け直してくれと。俺はピシッとしてねぇと、曲がったもんは大嫌いなんだ!!

ってんで、月曜の朝。俺は出勤だってぇのにそのタイミングで家に来やがった工務店が、てめぇ喧嘩売ってんのかってくらい挨拶もしねぇもうろくジジイの電機屋連れてきやがって。ズカズカ入ってきそうになったから、

「おうおう、ちょっと待て。どちらさん?あたしは小川ってんだけど」
工務店「あ、○○です。エアコンの工事に来ました」
「あ?工事じゃないでしょ。きとんと直してってくださいよ。」

って俺は会社に出てった。朝の8時半くらいだった。それから…数時間後。
女房からヒステリックなメールが30分おきに!!

[酷すぎる]
[あんたなら三秒でキレてる]
[義父さん不動産屋ともめてる]
[早く帰ってきて]

どうやら工務店の電機屋がもうろくジジイと頭の悪い親子らしく、夕方4時までかかってエアコン1台も直せずに帰って行った。その間の女房のストレスったら凄かったらしく、煙草やめてたのに吸ってた。

俺が帰ると朽ち果てた植木のような表情で、

女房「qwせdrftgyふじこlp;@:」(酷くて文章にできません)

って、おい!!!エアコン直ってねえのかよ!!どういうことだ!!なぁにい?!来週もっかい来るって?!バカ言ってんじゃねぇよ。んなことしてら来年になっちまうぞ!!その夜大家さんはご丁寧に謝りに来られて。「いやいや、大家さんは何も悪くないじゃないですか。いいんですよ。ウチでどうにかしますから」って、大家さんにまで迷惑かけやがってバカ電機屋の野郎。

ってんで、不動産屋に電話して、「引越したばかりで荷物も片付いてないんで、一通り片付いてから改めてやってもらえますか」と。で、テレビに関しては新品と交換。これも…また、メーカーはどこが良いか、サイズは何インチだ、機種名は何だ…んなもん同じもんでいいんだから早く取っ替えてくれ。TOSHIBAのだよ、サムスンなんか持って来たら叩っ壊すからな。

と、ようやく荷物も片付いて次の週にエアコンの修理に再びやって来た。これは手際の良い職人を連れて来た。一通り見回ってから苦笑いしてた。午前中から午後一くらいで4台全部を修繕完了。こーだろうよ、こう。職人ってえのはこの手際の良さだろ。腕の良い職人かどうかなんて、見てりゃすぐわかる。

まだある。新しい家具だ。
モノにこだわる俺としちゃ、せかっく新居用に買い替えるんだ、良いもん買おうじゃねえか、ってんで、ウォルナットの無垢天板のダイニングテーブルと同じ無垢の椅子、タモの無垢天板の座卓をオーダーした。それぞれ別の国内メーカーに頼んでいたもんだから、納期はバラバラ。
一番最初に届いたのはウォルナットのダイニングテーブル。こいつはオーダーしてから2週間で届いた。問題は4脚の椅子。納期2週間。飲食店を4つやってて、しかもテーブルと椅子は国産のモノを入れている。椅子一脚がいくらくらいで製造日程がどのくらいかなんてのは、聞かなくたってわかる。まあ2週間は待ってやるか…。

今週末が椅子が届くはずの日程だ。試しに連絡してみっか、ってんで女房がメールした。帰って来た答えが「あと3週間かかります」…!!!っなんだって?!バカ野郎、椅子の4脚やそこら2週間ありゃ十分。一週間やそこらで造れんだぞ!!とメーカーとバトル。

俺がオーダーしたのやってねぇんだろ?!違うのか。じゃなんだ?!今から伐採してきて、そっから乾燥さしてやんのか?!オーダーしてからたかが椅子4脚が1ヶ月以上かかるってどういうことだ!!んなバカな話ねぇだろ!!っていう。毎日電話で戦って…。あんたじゃ話んなんねぇから、社長出せ。たかが椅子4脚で申し訳ねぇけど、どうしても言いてぇことがある。といって、週末役員らしき人から電話が来た。
約束の納期に遅れているとか、そういう理由もさることながら、日本のメーカーに頑張ってもらいたいって思いがあった。特に家具業界は酷い。日本で売れ筋の家具ができると、それをそのままパクって中国で造らせて半値で売ってる。まぁ品質も半分だが。中国人は金さえ渡せば、黙ってやる。日本の職人は、やれなんだ、やれああだと言い訳や文句が多すぎ。そんなことやってっから中国に負けんだよ。そういうパクリ家具を散々見てきた。日本の家具は悪くない。だから文句言ってねぇで頑張れ…って、疲れた。最終的にはメーカーが平謝りで、中国製の代替品で本製品までの間我慢してくれってことで話はついた。結局本製品の納品日はオーダーしてから1ヶ月以上経ってから届いた。やっぱし国産の椅子は良い。

まだまだある。
今度は無垢板の座卓だ。「この台風の影響で無垢板が反ってしまって、お客様の意に反する物が仕上がってしまいました。もう一度造り直します」
…もういい。俺も反り返りすぎちまったから、好きにやってくれ。

結局、引越の日からまともな生活を送れたのは1ヶ月以上経ってから。それまで椅子はねえわ、エアコンは使えねえは、テレビは…まあ見ねえからいいんだけど。散々。


結論:俺は曲がった物がでぇきれぇだ




2011年5月

さてよ。
今住んでるマンションは超欠陥住宅で、管理会社とモメまくった挙げ句、「おう、上等だ。どうせこんなとこ縁も何もねえんだ。今すぐにだって出てってやっから、預けといたもん全部返しな」戦争が始まった。
でもすぐに決着はついた(w

もう息子も2歳5ヶ月。
そろそろ幼稚園にも行かさなきゃならねぇし、だんだん自分の環境を記憶に残していく時期だから…

よし!駒込に引越そう!
俺が生まれ育った、親父たちもじいさんたちも生きてきた町に戻るぞ。15年住んだ目黒を去ることに。だが何の未練も無い。まぁ会社が目黒だしな…
ってなわけで、物件探しにひっちゃかめっちゃか。

ところがどっこい。
本駒込って町は文京区でも人気のスポットで、おいおい目黒より高けぇじゃねえか。しかもほとんどワンルームばっか! おい、子供産めよ…。

でも人気の小学校のエリアでもあるから、ちょうど子供一人の家族が住めるようなマンションがちったぁある。が、狭めぇ!!

せっかく引越すんだ。今より広い物件じゃねえと気が済まねぇ。
しかも俺が住みたい場所は…


(話長くなります。面倒くせえ人は飛ばし読み推奨)


文京区本駒込って町は江戸時代、鷹匠の屋敷があったり(現駒込病院)、柳澤吉保の下屋敷(六義園/「りくぎえん」※「ろくぎえん」ではありません)があったり、武家の下屋敷の連なる駒込村っていう、まぁちょっとした田舎の村でした。昔から“本郷もかねやすまでが江戸の内”って言って、加賀藩上屋敷(現東京大学)から北側は田舎だったんですね。

<現在の駒込>

大きな地図で見る

<明治時代の駒込>

(クリックすると拡大します)

<江戸時代の駒込>
江戸切絵図/東都駒込辺(人文社)

駒込の由来は日本武尊まで遡る説で、味方軍勢が多く集まるの所を見て「駒込見たり」と言ったとか。野生の馬が多く生息していた場所だったとか、いろいろあります。

現在、文京区と豊島区をまたぐ駒込エリアは、古地図ではJR駒込駅より北側を「上駒込村」、山手線の内側の六義園近くを「下駒込村」と記してある。文京区側(下駒込村)には駒込神明町、駒込富士前町、駒込上富士町、駒込片町、駒込曙町、駒込吉祥寺町、駒込浅嘉町、駒込動坂町、駒駕籠町といった旧町名の町があり、これらをまとめて明治時代に本郷區に編入。その際、“本”郷區の“駒込”ということで、本駒込と呼ぶようになったんです。

寺社も多く横並びに連なっていて、有名な駒込の富士塚(富士神社)があったり、氏神の駒込天祖神社があったり。特に有名なのは吉祥寺。現在、JR吉祥寺駅の武蔵野には吉祥寺という寺はありません。元々駒込吉祥寺の門前で商売をしていた商人が遠く離れた武蔵野に移り住んでいって、駒込を懐かしんだのか商売上の都合か、あそこを吉祥寺と名付けたそうです。

江戸時代には茄子畑があったとかで、先述の富士、鷹、茄子の3つが揃った町だ、なんて自慢する江戸っ子もいたようで。ちなみに、六義園の裏手を“大和郷(やまとむら)”と呼び、超高級御殿が建ち並ぶ町になっています。文京区は印刷・出版の盛んな町でもあるのでそういった老舗企業の会長宅や社長宅などの庭付きプール付き御屋敷がドーンと建っています。某有名グループのK氏の自宅があったとか噂もされ、10億円は下らないそうです。江戸の古地図を見てみると、武家屋敷がずらりと並んでいた町なんですね。

江戸古地図を眺めていると駒込という町は昔からずっと変わらず、昔の道がそのまんま残っていたりして。神田から飛鳥山王子を抜ける本郷通りは昔は「日光御成道」といい、将軍様が日光東照宮に社参する為の道だったとか。ただし、上野寛永寺の不忍池から音羽護国寺あたりまで通っている不忍通り(東京都道437号)は江戸時代には存在しない道でした。


ってな感じで、まだまだ自分の生まれ育った町について語れる俺が、駒込に住まねぇわけにはいかねぇ。ってことで、どの町会に住むか相当悩み、多くの物件を探した結果、駒込富士前町に条件の良い物件を見つけた。ふと古地図を見返してみると、自分の住んでいる家は元は隣のお寺さんの敷地。家の前の道は江戸時代からある道。感慨深いもんですなぁ。




2011年4月

このブログらしき、書き残し。
どっかのブログ、例えば何ブロとかなんとかブログとかを使えばもっと簡単に書き残せるのに、実は(というかバレてるでしょうが)htmlの手打ちです。
合理的で効率性を求める私がなんでこんなローテクの面倒くせぇ方法で書き残しているのか、理由はわかりません。

あ、わかった。
そういうブログサービスを使いこなせないんです。
何ブロとかそういうサービス面倒で、なんと言うか“どうせ俺が勝手に書いてるんだから、関わらねぇでもいいじゃねぇか”っていうあまのじゃく的な、そういう感じ。
ブログサービス使えば良いのにね。

で、今月で36になりました。
今年の誕生日って何があったっけ。
あー、思い出したくない酷い出来事があったなぁ。
女房子供も家にいなくて、1人でグッタリしてたな。

でも方々でケーキやら何やらたくさん祝っていただきました。
4店舗あるので、行く度に♪ハーッピバースデー、ってもういいよ。恥ずかしい、でも嬉しい。




2011年3月

2011.3.11
東日本大震災。

お亡くなりになられた方のご冥福をお祈り申し上げます

書きたいことは山ほどありますが、やめます。
直接被災していない東京の私が疲弊するほどショッキングでした。

ひとつだけ。
日本人は世界一強い民族だ。




2011年2月

今年の新人採用を始めた。
募集をかけると…なんと応募者数140名!!
ウチみたいなちっせぇ会社に、こんなに募集をしてくるとは…

良い人材が欲しい!
書類で簡単に振るいにかけるのはやめよう!

そういう主旨で…『必殺!面接100斬り!』をやった。
俺1人で。

「こんな小さな会社の面接で、3人まとめてとかあり得ないだろ」な
タイムテーブルで1日5セット、1セット1時間、5時間×8日間。

まぁ、私の見た目が嫌なのか緊張しているのか。
面接に来る人たちは、だんまり…。
1時間俺が喋りっぱなし。それを5時間。
同じことを5時間喋りっ放し、専門学校の講師並み。

後日女房から、
「あたりまえよ。あんたみたいのがでーんと構えてて、ほら喋ろったって話せるわけ無いでしょ」と言われ…納得。

しばらくすると「あれ、喉痛てぇなぁ…」ったえりめぇだろ。
1日5時間も喋りっぱなしじゃ、喉もやられるってぇの。

今回の人材募集の一連の面接で、齢35のこの若造が今までに面接をした人数は通算で500人を超えてる。
これギネスブックとかに載らねえかな。

さすがに、座って顔見ただけで使える人間かどうか判断できるようになったし、マニュアル叩き込んできたって俺の前じゃ通用しねぇぜ。
通り一辺倒の話なんかするわけねぇ。

だってな、こっちは100人と話さなきゃならねえんだ。
つまんねぇ話じゃ、こっちが参っちまうぜ…




2011年1月

シチリアのトラットリア“CENTO ANNI”の4店舗目が完成。
今月オープンしました。

BELLA FIGLIA di CENTO ANNI
03-5489-2811
東京都目黒区大橋1-7-9

『BELLA FIGLIA(美人な娘)』
チェント・アンニは“家族”がテーマ。
道玄坂の店舗は『FIGLI di CENTO ANNI(チェント・アンニの息子)』

主観だが、今までの3店舗はどれも素朴で無骨、ちょっと男っぽかった。
新店は少し色気のある、可愛いエロさを感じるデザインにしよう。
店舗デザイナーの石原章裕氏と「エロくしようぜ。エロく!」と
散々模索した。
そうして名付けたのがベラ・フィリア。

期待しないでください。
美人な娘がいるわけではありません(w
ところが不思議と美人な女性のお客様が多いのがこの店の特徴。
やはり店の作り方でお客様の好みが露骨に表れるなぁと感じた。

外観

店内

店長山本のコメント(東急ケーブルテレビ/イッツコムの取材VTR)

目黒川沿いの店舗ですので、桜の時期は絶景です。
それを目指してお客様も大勢来られます。
4月のご予約は2ヶ月前からされることをおススメします。



www.ryogawa.jp