図案師

2013年

2013年
2012年  2011年  2010年  2009年  2008年
2007年  2006年  2005年  2004年  2003年


2013年3月

息子の幼稚園の剣道大会があった。
少子化と言いながら息子の園は1学年120人。全園児で350人以上いる。その中で剣道教室の年少さんは11人。

俺が通っていた頃は系列幼稚園と合わせて3園合同で大会を行っていた。剣道大会は年少は基本形のみ、年中と年長は基本形と試合。俺は年少から年長までの全ての大会で優勝してきた。ある一度を除いて。

さて、今まで息子の剣道なんか見たこと無かった。厳しい礼儀の指導と大声が出せればそれで良いくらいにしか思っていない。だが勝負となれば話は別。優勝してこいと言って送り出した。

年少の部の予選リーグを勝ち上がった。周りを見てもまだまだ幼く、勝負とかそういう意識のある年少さんなんかいない。だが、決勝リーグで負けた。三位だった。負けた理由は明白。予選とは顔つきが違った。決勝までの間に年中さんの友達と駆けずり回って遊んでいて、そのふざけたテンションで決勝に挑んだからだ。

すべての試合が終わって、表彰式までの合間に俺の時に来た。本人は負けたという自覚が無くへらへらしてたとこを一言、「なんで負けたんだ…」と憤怒の表情で睨みつけた。それから表彰式まで泣きっぱなし。父親から認められず、“負けた”という現実を突きつけられたのが相当悔しかったのか、ずっと泣き叫んでいた。

帰り道、なんで俺があんなに怒ったのか理由を話した。予選はピシッとやってたのに、決勝はまじめにやっていなかったこと。それが理由で予選は全勝だったのに決勝は二人に負けたこと。勝つことと負けることの違いを教えた。勝負とは本気で挑むのが礼節で、すなわち自分の器量だというのをわかってもらいたい。勝負から逃げないで欲しい。

来年は一番大きなトロフィーをもらいたいと言っていた。もちろん家族で三位のお祝いをして、トロフィーと賞状は飾ってある。あいつ、今晩はどんな夢を見るのかな。自分の子供が勝負に挑むのは初めての経験だったし、息子も負ける悔しさを味わった初めての経験だった。

…優勝しなくて良かったかも。
実は、俺が一度だけ優勝できなかったのは、年長の最後の大会の決勝戦だった。毎年金メダルばかりを獲っていたのが、最後のそれだけ銀メダルだった。全戦全勝でおごっていた自分が恥ずかしくて悔しくて、泣き崩れたのを覚えている。良い経験だった。33年経った今でも忘れていない。






2012年2月

14年間くらいかな。
23歳くらいで目黒に移って以来、俺の人生の舞台は目黒だった。
住まいも会社も目黒。いろいろあったこの14年。
親から独立し、飲み歩き。
仏像を彫って、座禅して。
親友と同居し、飲みまくり。
結婚して、子供が生まれ。
そんな目黒とも来月でお別れ。

一昨年に生まれ育った駒込に戻ってきて、今月は会社が渋谷に移転。
もう目黒に来ることはほとんどない。
さらば目黒、第二の故郷。






2012年1月

偶然知り合った木組みの匠が、わざわざこの神輿バカのために作ってくれた一人練習用の担ぎ棒。
嬉しすぎて鼻血が出る!!
長い棒(左の二本)は担ぐ練習用。
立方体の角材(右の三つ)はハナ棒抑えの練習用。

まずは神棚へ。
匠、本当にありがとうございます。





www.ryogawa.jp